卒業遍路やりました by 卒業遍路スタッフ
2017年3月15日に、卒業遍路を無魔成満しました。
参加者は昨年より1名増えて、36名。
大きな変化としては、小豆島に2つある町(小豆島町と土庄町)のうち、今までは小豆島町からの参加者が圧倒的に多かったのですが、今年は一転して土庄町からの参加者が多く、島全体の行事として偏り無く浸透してきたことを嬉しく思います。
卒業遍路の内容&感想について
今年からお手伝いをいただいた3人のスタッフに寄稿していただきましたので、まとめて記載します。
【単身赴任2年目ホテルマン Y.N】
今回卒業遍路にスタッフとして一緒に歩いてみて感じたこと、考えさせられたことを県外から赴任したもの目線で書かせていただきます。
私は約1年前に岡山より小豆島に異動してきて、畑違いのホテルのフロント業をすることとなりました。観光地のフロントは”情報屋”といっても過言ではありません。多種多様なお客様に丁寧かつ的確に情報を瞬時に提供しないといけません。昨年は覚えることの多さに苦悩したのを覚えています。
小豆島は離れるということは特別なこと。私のように岡山市内の田舎を離れるのとは少し違い、どこか違う国に行くのに近いものを感じます。小豆島は観光資源がとても多く、観光スポットや伝統文化、特産品など小豆島出身者であれば知っておかないといけない事は沢山あると思います。しかし地元の人からして見れば育ってきた環境は普遍的で当たり前のこと。小豆島の素晴らしさに気にとめることも無く過ごしてきたことと思います。実際に小豆島のお遍路を歩いたことがある人は少ないです。
小豆島のお遍路は四国と違い、山岳霊場も多く寺院から見る風景はとても幻想的です。しかしそこまでの道は遠く、険しい山道を登って行かなければなりません。最初はみんな怪訝そうな表情です。しかし無心に歩く内に学生時代の思い出を振り返り、近況報告などをし合ううちに会話が自然と溢れ、次第に笑顔になっていきます。面と向かって会話をする機会も少なくなってきている現代では少し珍しい光景です。険しい山道や下り坂、護摩祈祷などの一連の修行を終えた後は少し大人になった表情。”どこに行ってもやれる”そんな自信さえ窺えます。
卒業遍路に参加して学生と一緒に歩いて見えてきたもの。それは”この時期に今の仲間と地元小豆島を歩くこと”にあると思います。人生の節目に同じ環境で育った仲間と歩くことはかけがえのない事です。4月からは小豆島を離れた生活が始まります。寂しくなったら皆で歩いたことを思い返すことで小豆島の良さを再認識できることでしょう。時には伝道師として小豆島の魅力を伝えることも小豆島人としての使命なのかもしれません。
【代参企画を手伝ってくれた福祉施設職員 G.K】
軽費老人ホームシーサイドサンシャインでは写経とお地蔵さんの前掛け作り、菩薩様の塗り絵を行いました。
前掛けは2名の方に依頼し手伝ってもらいましたが、その他1名の方は自主的に作り持ってきてくれました。積極的に参加してくれました。
写経は初め5名ぐらいの方に声掛けしましたが、それぞれに他の方を誘って皆で集まって書いてくれました。書道クラブの時間に書いてくれた方もいます。
いつもはこんなに字を書くことがないと言われる方もせっかく代参してくれるならと集中して書き上げてくれました。
塗り絵は1名の方が書いてくれました。もともと塗り絵が好きな方ではありましたがどんな色を塗ったらいいかと考えながら自己流で行いました。
中高生の若い子がお遍路を歩いてまわることをみんな感心していました。
他部署にも写経や前掛けへの文字書きを依頼しましたが、時間がない中でも職員がお手伝いし一生懸命行ってくれたと思います。写経を書くうちに般若心経を思い出したと言われる方もいました。
若い世代と高齢者がこのように繋がれる機会がもっと増えてほしいと思います。
特別養護老人ホームリベラルサンシャインは、利用者にお地蔵さんの前掛けに願い事を書いて貰いましたが、自分達では遍路周りに行けないが、その代わりに学生が利用者の願いを届けてくれるということはすばらしいと思いました。サンシャインと学生との繋がりもできて良かったと思います。
認知症対応型共同生活介護グループホーム北のおひさまでは写経をしてもらいました。何かに集中する事は良い事だと思いました。
小規模多機能型居宅介護サンリゾートでは写経を書いて頂いたのは一人でした。はじめは自信がないと言っていましたが、書き始めると思い出したとのことです。
若い人には聞きなれない「般若心経」ですが、昔とった杵柄でしょうかお彼岸ということで利用時に「般若心経」を唱える場面がありました。
今回代参企画ということでサンシャインの利用者の方々にお地蔵さんの前掛け、写経、写仏の作成していただき、願い事を記入したものを各お寺で参加した学生たちに奉納してもらいました。
お地蔵さんの前掛けはお寺や遍路道にあるお地蔵につけてもらいました。
前掛けをつける際に、お地蔵さんに声かけをしてくれる学生もいて、学生たちの中でも代参をしている意識は高かったのではないでしょうか。
過酷な遍路道を進む中で弱音を口にする学生もいましたが、誰1人としてリタイヤすることなく最後までやりとげることができたのはとてもすばらしいことであり、利用者の方々の思いも
無駄にならない結果となったと思います。今回初めて同行させていただく中で、お遍路文化がどれほど大切で、とてもすばらしいものだということを実感することができました。
またこのような企画にサンシャインの利用者の方々にお声かけいただいたことも大変感謝しております。次回またご協力できることがありましたら、ぜひお声かけいただきたいと思います。
微力ながらご協力させていただきます。この度は本当にありがとうございました。
【高野山より移住2年目の霊場寺院副住職 R.Y】
平成29年3月15日、この春卒業を迎える小豆島の中学高校3年生を対象に卒業遍路が行われた。噂では聞いていたが、今回私は初めてスタッフとして参加させていただいた。目的は「卒業」という節目に自分が生まれ育った小豆島の88ヶ所霊場をお遍路して、自分の故郷の素晴らしさを体感し、島を出ていく者はその誇りを胸に巣立ってほしい。そして、将来には様々な体験経験を土産にこの小豆島へ戻ってきてほしいというものだ。
今回のコースは歩き遍路の中でも一番険しい所。白装束、金剛杖、袈裟を身につけ、見た目は一人前のお遍路さん。しかし、ある学生は出発前の集合場所でいきなり「えー、今日はバスじゃなくて、歩くんですかー?」とビックリするような質問をしてくる始末。今日は一体どうなることだろうと不安のスタート。
今回は88ヶ所の札所のうち、5ヶ所の遍路となった。最初の札所は海岸線付近から標高約300メートルまで一気に昇る山道。しかし、いざお遍路がスタートすると皆エネルギーを爆発させるように急な遍路道をキャッキャと会話しながら飛ぶように進んで行く。一方、私はまったく話す余裕も無く、ただただついて行くのがやっとであった。早くも若さのパワーを目の当たりにさせられてしまった。
1時間程で最初の札所へ着くと皆それぞれが護摩木に自分の名前と数え年を書いて、僧侶の方が真っ暗な洞窟の中で護摩を焚いてくれた。真っ赤な炎が上がる中、皆正座をしお経の本を手に、必死に般若心経や不動明王の真言を唱える。お経をただ目で追うだけの者、少し口を動かし何とか声をだそうとする者、はっきりと大きな声でお唱えしている者と様々。この違いを想像するに、恐らく普段から般若心経に触れる機会の多少に関係しているのだろう。そして、それはその子の環境において神仏に対する畏敬や信仰が満ちているかいないか、という事にも繋がる気がした。神秘的の護摩焚きを終え、麓の公民館で休憩。ここではまず小豆島で生まれ一度島を離れたが帰島し、現在島で仕事をしている方のお話しを聞いた。学生からは「今の仕事をいつ頃決意したのか?」という質問もあり、皆興味深く聞き入っていた。人生には色んな選択肢があるが、この時間は必ずや学生達の一助となることだろう。
昼食の美味しい豚丼でお腹もいっぱいになり、いよいよ足に豆が出来るという豆坂峠へ。この峠でもやはり皆、会話が絶えない。大人たちの遍路では主に仕事や病気、人間関係の話などだが、中学高校生となると学校の話、ゲームの話、部活の話、恋愛の話・・・。そんな中、辛そうな友人に「大丈夫?」と何度も声をかける女の子がいた。自分も足が痛くて辛いのに他を気遣う優しい子だと感心した。「自分だけ良ければ」という昨今、この遍路で忘れかけていた他を思いやる優しさに触れることができ、仏さまのようなあの女の子に感謝です。
豆坂峠も無事に越え、いよいよ最終札所へ歩を進める。脱落者も無く皆無事に踏破!肉体的精神的にもかなり疲れていたが、最後の読経は全員大きな声で般若心経をお唱えできるようになっていた。この短時間での子どもたちの成長には驚嘆させられてしまった。
最後に、お大師さま(弘法大師・空海)が残されたお言葉を紹介する。
「物の興廃(こうはい)は必ず人に由(よ)る。人の昇沈(しょうちん)は定めて道に在り。」
これは、全ての物事が興隆したり廃れたりする原因は必ず人に由来するのである。そして、人が優れた者となるのも、ならないのも、全てその道の学び方にあるということ。「道」とは結果や成果ではなく、プロセス(過程)であり、目的へ向かって歩む姿勢のあり方を意味している。
人生という「道」を歩む時、様々な体験経験を積み重ねる。それをどう受け止め、どう生かすかは自分次第なのである。
生まれ育った故郷には不思議な力がある。私も故郷の景色や空気を感じると理由もなくホッとする。これから辛いことや悲しいことがたくさんあるかもしれない。そんな時はいつでも生まれ育った小豆島へ帰っておいで。皆にとってここは魂を解放できる唯一の場所なのだから・・・。
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