卒業遍路2019を行いました
平成31年3月19日火曜日に、卒業遍路を開催しました。
今回のコースは、小豆島町の内海地区(苗羽〜坂手〜古江〜堀越〜田浦)が舞台です。
8番常光寺をスタート、7番向庵を打った後、山道を上って2番碁石山へ、1番洞雲山、3番奥の院隼山と山岳霊場をめぐり、坂手港近くの3番観音寺で昼食。午後から二十四の瞳で有名な田浦半島の4番古江庵、5番堀越庵と寄って、岬の分教所がある6番田ノ浦庵がゴールです。二つの山越えがある総延長11kmの行程です。
当日は天気予報通りの激しい雨で、卒業遍路史上でも過去最高の悪天候でした。
お遍路は少々の雨でも、構わずやるものですが、遍路に馴染みのない卒業生には少々酷だなぁと思ったものの、キャンセルする者はおらず、元気に始まりました。
今回の参加者は8名。これまではコンスタントに20名近くの参加者がありましたが、今年はどういうわけか中学生が1名だけになってしまいました。しかも全員女子!女子遍路です。
集合場所の8番常光寺で最初のお勤め。
お経の次第は
先)開経偈
次)懺悔文
次)三帰
次)三境
次)十善戒
次)発菩提心真言
次)三昧耶戒真言
次)般若心経
次)本尊真言
次)光明真言
次)大師宝号
次)廻向文
次)祈願
とお遍路さんが唱えるお経としては、経本どおりのフルコースで読経しました。
常光寺の後は、徒歩3分くらいのところにある7番向庵(むかいあん)。
今回の参加者は、お寺の近所に住んでいる子が数名おり、その内2名は檀家の子でしたので、見知った場所のはずですが、遍路をしてお経を唱えるのは初めてだったと思います。
向庵からは、山道に入って、2番碁石山へ向かいます。
距離にすると2㎞ほどなので、すぐ着きそうなものですが、本格的な山道で傾斜もけっこうキツく、雨で足元も滑りやすくなっているので、修行の雰囲気が出てきました。
道すがらにお地蔵様がたくさん並んでいて、代参で託されたお地蔵様の前掛けを掛けながら登りました。
代参には、前掛けの他、写経・写仏・塗り絵・蓮の華の折り紙を預かりました。参加者の数よりも、圧倒的に多く渡されたので、今回廻った9札所は、代参物で溢れかえりました。
遍路道と舗装された車道が入り混じった参道を登って、ようやく碁石山に到着。道中はずっと雨で、ようやく一心地つきました。
たまたま別の歩き遍路の団体も一緒になって、お接待をいただきました。ありがたや。
本堂では護摩祈祷を行いました。
お願いごとは学生らしく、学業成就と良縁成就ばかり。女子なのでお互い空気を読んだ可能性もあり。良い出会いがありますように。
本堂を出た後は、行場にも足を運んで、浪切不動明王の石仏の後ろをぐるっと回りました。雨で見通しは悪かったけど、霧の中の体験は特別な思い出になったことでしょう。
1番洞雲山は、碁石山から300mほどの距離。徒歩5分で到着します。
碁石山とは違った佇まいの山岳霊場で、大きな岩の亀裂に入っていく感じが、他のどの札所とも似ていません。
ここが1番になったのも、そういう荘厳さが格別だったからだと思います。
洞雲山の後は、500mほど同じ高さの道を歩いて3番奥の院隼山(はやぶささん)へ。
途中の展望台から見える景色は絶景でした。
雨もすこし小降りになってきて、視界もクリアになってきました。夕方には止む予報だったので、天候の影響で、気分も少しずつ上向きになります。
隼山からは、海抜0メートル付近にある3番観音寺へ下山します。碁石山の登りのように、今度は急な下り道。ただ舗装されたコンクリートの道だったので、雨の日は滑りにくくて助かりました。
観音寺は坂手港のすぐ側で、坂手港に着いた関西方面のお遍路さんが最初にお参りするお寺です。
しっかりお勤めした後は、お寺で昼食をいただきました。
卒業遍路の昼食は、毎年定番で豚丼。
小豆島で放牧豚を育てている鈴木さんのところの豚を、島の佃煮屋さん小豆島食品で煮込んで、寒暖差がある中山の棚田で育てた米でいただく逸品です。毎年のことながら、本当に美味しい鉄板メニューです。
昼食後は、観音寺の本堂で折り紙をしました。
代参でいただいた蓮の華の折り紙です。
作り方はそんなに難しくないものの、少しコツがいるので、みんなで好きな色紙を選び、紙を切って、お願い事を書いて、折って、束ねて、また折って完成しました。
卒業遍路ではお遍路以外にも、学校教育では教わらない体験や学びの機会を設けるようにしていますが、今年やった折り紙は、女子ばかりの参加者だからやりましたね。男子が混ざっていると、別の何かにしてました。
午後からは、観音寺から、坂手の海沿いを歩いて、田浦半島へ向かいました。山から海へ景色はガラリと変わって、海の臭いを感じながら、舗装された道を4番古江庵まで歩きました。
古江庵は、海のすぐ側にある札所で、砂浜と松の木が趣を感じる風光明媚な札所です。近年高潮の被害を受けて、コンクリの防波堤ができてしまったので、昔を知る人には味気ない感じがしてしまいます。しかし、凛々しい西国33観音の石仏がお堂を取り囲むように並んでいて、特徴的な風情があります。
札所に着くと、地元の人がもの珍しさゆえに、2〜3人集まってきて、一緒にお勤めしてくれました。
古江庵から5番堀越庵へは、海岸線の車道をひたすらに歩きました。内海湾を挟んで、対岸に寒霞渓が見え、後ろには今歩いてきたばかりの洞雲山と碁石山がそびえて見えました。
思えば、よくあんな高いところまで登ったものだ、つい数時間前のことが懐かしく思えます。
堀越庵のある堀越集落は、昔ながらの路地道が多く、昔の小豆島の村はこんな感じだったのだろうな、と想像させる古き良き雰囲気を残しています。
二十四の瞳の作者である壷井栄の夫繁治ゆかりの地でもあり、今でも堀越庵のすぐ横には石碑が残っています。
堀越庵から6番田ノ浦庵へは、車で行くと海岸線の車道を行きますが、歩きでしかいけない峠道があり、傾斜が急で馬が立ったというところから”馬立峠”と名付けられた難所になります。
この頃には雨は止んでいましたが、昼になって疲れも眠気もでてくる時間なのも相俟って、見上げるほどの登りは堪えました。
先達の森下さんの案で、峠を越える時に唱える歌を輪唱しました。
「なーむだーいし へんじょーこんごー♪」
「おーだいしさーまに こーみょーしんごん♪」
この歌詞を、先頭から順に、頭人を入れ替えて歌っていきます。単純なれど、慣れない言葉にしどろもどろの学生たち。
それでも声を張って、自然の中をおらび上がる(小豆島の方言で「おらぶ=さけぶ」)と、あっという間に山頂に着きました。
黙々と登るより、引っ張られる感じがあって、高野山や富士山に登る時も「六根清浄〜 ろっこんしょーじょー♪」ってやりますね。
峠道を下りるころには、太陽が見えて、木漏れ日が差す竹林の中を歩くのは気持ちよかった。雨で花粉や黄砂が落ちて、清々しい空気の中、6番田ノ浦庵を目指しました。
ちなみにこの道は、二十四の瞳が舞台の昭和初期、岬の分教所に通っていた小学生たちが通学に歩いていた道です。昔の人は体力がありますね。
予定より少し遅れて田ノ浦庵に到着しました。
田ノ浦庵は、昨年補修されて、建物が綺麗になっていました。最後のお勤めは、みんなで大きな声が出て、読経も揃っていました。最初は手探りだった参加者も、一日かけて9札所参るとそれなりのお遍路さんになっています。
雨の中で始まった卒業遍路2019でしたが、終わってみれば美しい夕陽が拝め、全員が事故なく、怪我なく、笑顔で終われた素晴らしい一日になりました。
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