あらためて小豆島八十八ヶ所霊場とは?
おはようございます。
小豆島の坊主じくうです。
YouTubeをはじめていくつか動画を撮ってみたのですが、いつもダラダラ長くて・・・自己満で誰得?な内容になってしまうので、小豆島霊場について、3時間位語れる熱い想いを、10分で熱弁できる規模にまとめて完結に説明したいと思います。
目次
1.小豆島という島の特徴
2.修行地としての小豆島
3.札所システムの導入
4.他の八十八ヶ所との比較
1.小豆島という島の特徴
小豆島は瀬戸内海で淡路島についで2番目に大きな島で、島一周すると150km。車で2時間弱で1周できる規模です。
小豆島といえば、オリーブの島と呼ばれ、日本で初めてオリーブ栽培に成功して、オリーブの生産量は日本一の島です。
そして、二十四の瞳や八日目の蝉、実写版魔女の宅急便といった、映画のロケ地としても有名な観光地です。
瀬戸内海の温かい気候と穏やかな海のイメージから、とってもノンビリしたリゾートイメージをいただかれている人が多いと思います。
でも、瀬戸内海には727島があるらしいんですが、その中で一番背が高い島なんです。
背が高いというのは、一番標高の高い山を有しているということで、それが星ヶ城という山で、標高が817mあります。
小豆島は基本雪が降らないのですが、星ヶ城周辺だけ雪化粧というのは、小豆島でよく見られる冬景色です。
それくらい高い山があって、他にもごつごつ尖った地形をしています。
イメージとしては、海底火山の山頂部分だけが、海上に出ている感じの地形です。
海から、いきなり山になっているので、小豆島にはほとんど平地がありません。
平地として見えてるところの多くは、災害があって、流れてきた土石流を使って埋め立てをしたからです。
平地が少ないので、農作物とか、傾斜地で作られているのが基本で、田んぼも、棚田を作って、耕作しているような地形です。
加えて小豆島は石の産地で、大阪城の石垣は、小豆島から運んだ石が使われていたりします。
で、小豆島にある険しい山々は、ゴツゴツした岩山で、海底にある間に、溶岩石が、火山灰が固まってできた凝灰岩に包まれて、山のカタチになっているんです。
だから、小豆島の山に登ると、切り立った崖の頂に立つような感じになって、すごく映える仙人が絶壁に立つみたいな写真が撮れます。
前置きが長くなりましたが、小豆島がそういう特徴をもっているからこそ、霊場が興ったんです。
2.修行地としての小豆島
小豆島の岩山や崖は、昔は山岳修行といって、野山を駆け巡る修行に使われていて、弘法大師空海も若かりし頃、山岳修行にのめり込んでいて、室戸岬の洞窟にこもったり、捨身ヶ嶽から飛び降りたりしてたので、修行地として有名な小豆島にも立ち寄って、行をしたという言い伝えから、小豆島にもお大師様の話がたくさん残っています。
小豆島では、山の修行だけでなく、海岸線を巡る修行「辺地(へち)修行」が盛んに行われていた場所だとされます。
小豆島の大半の海岸線は、リアス式海岸のような浜が無くて海と山が近い切り立った場所で、海岸線を巡るというのは岸壁にへばりつきながら、潮にさらわれないように、命がけで修行する、ということに他なりません。
その修行が、
になったと言われています。
遍路すなわち、海岸線を歩いていく修行だということです。
もちろん、山の札所もあるので、海際をめぐっていくのを基本として、弘法大師ゆかりの霊跡を結んでいくのが遍路になったようです。
江戸時代になって、国が統一され、庶民が国をまたいで行き来できるようになると、四国では八十八ヶ所を巡るというシステムが確立されます。
それまで聖や山伏といった修行することが生業であるプロフェッショナルだけのものだった遍路が、庶民にも開放され、アマチュアの人たちも参入し始めました。
で、そのアマチュア向けに、『四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)』というガイドブックが貞享4年(1687年)にリリースされました。
八十八という数字もここで初めて出てくるんですが、札所制の導入は、既にシステムとして確立されていた西国三十三観音霊場めぐりを参考にして、これからはこういうルールで巡拝しないさい、というのが定まったんです。
3.札所システムの導入
札所という八十八ヶ所を巡るんですよ。白装束を着て、お堂でお経を唱えて、朱印をいただくんですよ!というルールですね。
弘法大師が決めたわけじゃないです。
大坂の真念さんという人が書いた本なんですが、その人はいまだに遍路の父と言われます。
四国で八十八ヶ所めぐりというルールが人気になると、そのシステムを小豆島でも採用して、もともとあった山岳霊場や寺院、堂庵に番号を振っていって、小豆島八十八ヶ所霊場が誕生しました。
ただ、『四國邊路道指南』が貞享4年に刊行されたのに対して、小豆島では貞享3年に霊場をめぐっていた史実に残っているらしいので、四国に負けじと江戸の初期には八十八ヶ所めぐりがシステム化されたようです。
ここで大事なのは、四国より早いか遅いかではなくて、遍路のルーツとなる辺地修行が行われる修行地であったこと、そしてその修行地をめぐる八十八ヶ所めぐりが、四国とほぼ同時期に確立していた、とても古い古い霊場だということです。
4.他の八十八ヶ所との比較
その後、全国各地で八十八ヶ所霊場というのが興っていくのですが、四国は別格として、小豆島と合わせて古い八十八ヶ所霊場 弘法大師ゆかりの土地に興った霊場として
愛知の「知多四国八十八ヶ所」(1824年)
九州の「篠栗四国八十八ヶ所」(1835年)
の3霊場が江戸時代にできた最古の八十八ヶ所として、日本三大新四国霊場と呼ばれました。
新ってついてますけど江戸時代の話です。
本四国を含めた知多四国、篠栗四国は、弘法大師が開いた真言宗以外のお寺も混じってますが、唯一小豆島八十八ヶ所だけはすべて真言宗のお寺で、浄土宗、浄土真宗、天台宗、禅宗のお寺はありません。
とは言っても、88ヶ所全てが住職がいるお寺ではなく、お寺が管理する無住の堂庵を含んでいるので、お寺の数は約30です。
そして、その30のお寺が、近隣の札所の朱印をまとめて押しています。朱印集めをしたければ、小豆島の場合は、すべて回らなくても、朱印を管理している30ヶ所を巡れば、朱印帳は
コンプリートできます。
札所がすべて真言宗ということで、弘法大師像は本堂のご本尊の脇に安置されていることが多く、大師堂が別途建立されていないお寺が多いです。
なので、四国は本堂と大師堂の二ヶ所を参りますが、小豆島では基本的には本堂だけを参ればOKです。
あと、小豆島以外の霊場は、知多四国、篠栗四国、と四国が付きますが、小豆島四国八十八ヶ所とは言いません。そのかわり島四国と呼ばれることがあります。
でも、島四国の定義は、島にある八十八ヶ所霊場の総称で、瀬戸内海に数多ある、四国霊場の砂を現地に持ち帰って創った写し霊場の呼び名なので、コピーじゃない小豆島八十八ヶ所霊場の中の人は、島四国とまとめられることに強い抵抗感を持ってたりします。
島四国は、無数にあって、山口の周防大島八十八ヶ所、因島、神島、直島、豊島、淡路島・・・1島1八十八ヶ所くらいあるのが当たり前になってますが、どこも写し霊場です。
全国各地にも八十八ヶ所はあって、関東なら伊豆八十八ヶ所、御府内八十八ヶ所、関東八十八ヶ所・・・関西だと摂津国八十八ヶ所・・・九州だと九州八十八ヶ所・・・東北だと北国八十八ヶ所・・・北海道にも北海道八十八ヶ所・・・
全国各地に無数の八十八ヶ所霊場がありますが、すべて小豆島八十八ヶ所よりずっと新しい霊場です。
そういうわけで、小豆島八十八ヶ所霊場が、朱印ブームに乗じて、町おこし的に最近作った八十八ヶ所ではなく、瀬戸内海の他の島と同様の写し霊場でもなく、弘法大師の時代から脈々と続く、修行地から発展した、四国八十八ヶ所霊場とほぼ同時期に完成した、子でも孫でもない、兄弟のような霊場だとご理解いただけたでしょうか?
四国八十八ヶ所霊場を何度も廻った人でも、小豆島の方が面白いと言ってくれることもあり、他のどの霊場にも特徴的な霊場です。
洞窟のお寺だけでも10ヶ所。岸壁にへばりつくような国宝の投入堂のような、よくこんなところに建てたな〜と感心する札所がいくつもあります。
規模は、四国の1500kmに対して、およそ1/10となる150km。一日20km歩けば1週間。車で3泊4日。
宿泊に関しては、昔は宿坊や善根宿はあったけど、今は遍路宿(お遍路さんと言えば、少し割引がきく場合もあり)が島の東と西と北に点在してます。
テントを担いで野宿しながら遍路する場合は、お寺の駐車場に張っていいか交渉してください。屋根付きの休憩所「東屋」が小豆島には少ないので、寝袋だけ持って遍路するには厳しい土地です。コロナなので車中泊しながら回るなら、温泉が3ヶ所あるので、それを利用しながらやってください。
朱印はお寺が300円、堂庵が100円、手書きの場合は別途200円。
すべて回ると300円x30寺=9000円 + 100円x64堂庵=6400円 計15400円。
手書きの朱印帳だと200円x94札所=18800円追加で 計34200円なり。
以上、駆け足でしたが、小豆島八十八ヶ所の解説でした。