筋肉痛は2日後に、 充足感はじんわり永遠に by 三十路の初へんろ
寺好きのお参り好き。
だけど、おへんろ経験はなし。
いつか自分の足で歩いてお参りしてみたい・・・という思いはあったものの、
踏ん切りがつかなかった、ここ数年間。
そんな私の元へやってきた「小豆島女子へんろ」開催の知らせ。
「これはお大師様のお導きだ〜!!」
「この機を逃してはいけない〜!!!」
…というわけで、“尻込みさん”さようなら。
さっそく申し込んだら、“当日は特に何も用意しなくてもOK”
とお返事がきました。
白衣も金剛杖も貸してくださるんだそう!
おへんろ初心者には、この気軽さがうれしい。
季節は、冬の入り口。
落ち葉が道を埋め尽くし、
そろそろ山も眠りに入るころ。
寒さと若干の緊張でカチコチの身体に、
お借りした白衣と袈裟を羽織り、金剛杖を持つ。
いよいよ、人生初の歩きへんろへ。
――私が参加することになった「第7回女子へんろ」は
13番札所 栄光寺〜21番札所 清見寺の合計9つの寺をまわるコース。
1番〜12番は歩いていないけれど、
前回参加された方がお参りしてくれているんだと思うと、
バトンを受け取ったような気持ちになりました。
頼まれてもいないのに、勝手に燃え上がる使命感!
栄光寺から山に入るまでの道は、
小豆島の集落を分け入る平坦な道。
家々の様子や畑を眺めながら小道を歩いているうちに、
かたくなっていた身体も、すっかりほぐれてきました。
「なんだ、楽勝かも〜。ちゃんとついていけるかも〜」なんて思っていたら、
突然道がひらけ、目の前にどどーんとそびえる山。
「あそこに登るんですよ」
と指さされた先にあったのは、
小豆島霊場のなかで一番高い札所の清瀧山でした。
しかもここからは、昔ながらのへんろ道を歩くのだという。
当然、コンクリートで舗装されているわけではなく、自然のままの道。
誰かが踏み固めた土の道をいきます。
ついさっき調子にのったことを懺悔しつつ、
みんなに追いて行かれないよう、ただ黙々と歩く、歩く、歩く。
どうやら私の場合、必死になると、視点が下がってしまうようで、
景色ではなく、自分の足元ばかり見つめながら歩いていました。
重なりあう葉っぱや思うがままに伸びている根っこ。
それらを踏みしめ、一歩一歩前へ。
「カサッゴソッ カサッゴソッ」
「ハッハッハッハッ」
今まで賑やかだった皆の声も徐々に静かになり
聞こえてくるのは、落ち葉を踏みしめる音と、
いつもより早く脈打つ自分の鼓動のみ。
久しぶりに感じる自然との一体感。
しんどさのなかに、爽快さも感じ始めていました。
歩調を合わせるのが、難しいと感じるのは
自分勝手な性格のせいか・・・(反省)
とはいえ、やはり山道は辛い。
登りきったときの達成感は、言葉になりません。
私たちを待ち構えていたように、山門にはねこの彫りものが。
「いやはや、お待たせしてしまってすみません」
手水舎で身を清め、蝋燭とお線香を立て、お賽銭を入れて鈴を鳴らす…
その頃には、上がっていた息もおさまっていました。
お参りの際のこういった動作は、精神統一に欠かせないものだったんですね。
そしていよいよ読経です。
みんなで声を合わせてお経を唱えるというのも初めての経験だったので、
何気にドキドキしましたが、これがとても心地いいもので。
本堂に声が響くんですね。
なんとなく天を仰ぎたくなって、天井を見たら、綺麗な花の絵が。
わ~っ!気持ちとリンクしている!!!
モヤモヤが昇華された気がして、心が晴れました。
“歩く”ということが、研ぎ澄ますことにつながるのかもしれません。
「おへんろって、すごい!!!」
最初にキツイ坂を登ってしまったので、
少し気持ちに余裕も生まれ、景色を楽しめるように。
そして、だんだんお参りにも集中できるようになりました。
そんななかで、印象的だったのが、
18番札所の石門洞。
その名の通り、自然が作り出した石門のあるお寺で、
洞窟をそのまま利用した朱色の舞台造りの本堂が見事!
岩壁には、寄せ岩造りの不動明王が鎮座し、
口をへの字につむぎ、ギラッと下を睨む。
目が合おうものなら、懺悔せずにはいられません。
この札所のように、小豆島の霊場には、
自然の地形を活かした山岳寺院が多いそうです。
険阻な山間の洞窟の中にご本尊をお祀りしていて、
その厳かさが、山道を歩いてきたからこそダイレクトに響く。
そしてもうひとつ、忘れられないのが、
極楽寺でいただいたあま酒。
ほんのりとした甘さと、あったかさが、汗で冷えた身体にしみわたり、
慈味とはこういうものだ!と、ありがたくちょうだいしました。
このような“お接待”は、おへんろにはつきもの。
そもそもこの“お接待”文化・・・
「お疲れさま」の気持ちをこめて、もてなすものだと思っていたのですが、
「私の変わりにお参りしてくれて、ありがとう」という気持ちもこめられているそうです。
それは、お遍路さんが最後に唱える“回向文(えこうもん)”にも書かれているそうで――
「願わくは この功徳(くどく)をもって あまねく一切に及ぼし
われらと衆生(しゅじょう)とみなともに
仏道(ぶつどう )を成(じょう)ぜん」
(解説:できましたら、唱え上げたことによって得られた功徳(メリット)を、
縁のある人々だけでなく生きとし生けるものすべてに及ぼし、
私とみんなの意識体が、仏道を完成し涅槃に行けますように)
つまり、おへんろとは、自分のことはもちろん、
みんなのしあわせを願って行うこと。
私が出発前に感じた“誰かからのバトンを受け取った感じ”も
あながち、的外れではなかったみたいです。
「おへんろ=感謝のループ」
また、このすばらしい環のなかに、身を投じたいと思います。
(今度はあったかい時に!←切望)
寒かった―!
多田千里
(2014年12月 第7回女子へんろに参加して)
関連記事
コメントを書くにはログインが必要です